なぜブルージュの街並みは、これほど完璧に中世のまま保存されているのか。その答えは、皮肉にも「街の衰退」にあります。5つのポイントで、時が止まった街の文脈をつかみます。
ブルージュの地名は、古ノルド語で「桟橋・波止場」を意味する言葉に由来するという説が有力です。9世紀頃、ヴァイキングの交易拠点として発展したこの地は、北海に通じる水路(ズウィン)を通じて、外洋とヨーロッパ内陸を結ぶ港湾都市として成長していきました。
13〜15世紀、ブルージュはハンザ同盟の重要拠点として、ヨーロッパ有数の商業都市へと発展します。イタリア・イギリス・北欧各国の商人たちがこの街に拠点を構え、国際金融の中心地としての地位を確立しました。
ブルージュの繁栄を支えていた水路「ズウィン」は、15〜16世紀にかけて次第に土砂が堆積し、大型船の航行が困難になっていきます。港湾都市としての機能を失ったブルージュから、商人たちは次第に新興港湾都市アントワープへと拠点を移していきました。
この経済的な衰退により、ブルージュは長い「眠りの時代」に入ります。新たな都市開発の資金も需要もなくなったことが、皮肉にも中世の街並みをそのまま凍結保存する結果につながりました。
19世紀後半、ロマン主義の作家・画家たちが「時が止まった美しい廃墟のような街」としてブルージュを「再発見」します。1892年に出版されたジョルジュ・ローデンバックの小説『死せるブルージュ』は、この街の陰影に満ちた美しさを世に知らしめ、観光地としての復興のきっかけとなりました。
この文学的な再評価をきっかけに、街の保存・修復への機運が高まり、現在の観光都市ブルージュの土台が築かれていきます。
長い保存活動の集大成として、2000年、ブルージュの歴史地区全体がユネスコ世界遺産に登録されました。単一の建造物ではなく、街全体の景観・都市構造がまるごと評価されるという、世界的にも珍しい認定のされ方です。
「衰退したからこそ守られた」という逆説的な歴史を経て、ブルージュは今、年間数百万人が訪れる、ベルギー屈指の観光都市として新たな繁栄の時代を迎えています。