なぜ「アントワープ」という地名は「手を投げる」という意味なのか。なぜこの街はブルージュの衰退から漁夫の利を得たのか。なぜダイヤモンドとファッションという、一見結びつかない2つの産業がこの街に共存しているのか。5つのポイントで、巨人伝説から生まれたこの街の文脈をつかみます。
アントワープという地名の由来には、ある巨人伝説が関わっているとされます。かつてスヘルデ川を航行する船から法外な通行料を取り立てていた巨人アンティゴーンを、若き英雄ブラボーが退治し、その手を切り落として川に投げ入れたという伝説です。
オランダ語で「手を投げる(hand werpen)」が転じて「アントワープ(Antwerpen)」になったという、民間語源(俗説)ですが、街のシンボルとして今もグロート・マルクトの噴水像や、名物のチョコレート菓子「アントワープの手」のモチーフとして親しまれています。
15〜16世紀、水路の埋没で衰退したブルージュに代わり、アントワープがヨーロッパ随一の商業都市としてのし上がります。最盛期には、当時のヨーロッパで最も裕福な都市とされ、世界初期の証券取引所が設立されるなど、国際金融・貿易の中心地として繁栄しました。
この時代、印刷業者クリストフ・プランタンもこの街で活動し、当時最先端の出版技術を用いて聖書や学術書を大量に印刷しました。彼の工房は現在、世界遺産にも登録されている博物館として公開されています。
1576年、給料の未払いに憤慨したスペイン軍兵士たちがアントワープの街を襲撃・略奪する事件が発生します(「スペインの怒り」と呼ばれる)。さらに1585年、8月の対スペイン独立戦争の末に街は陥落し、多くのプロテスタント商人が北のアムステルダムへ逃れました。
経済的な地位を失った17世紀のアントワープでしたが、画家ピーテル・パウル・ルーベンスを筆頭に、バロック美術の一大拠点として輝きを放ちます。カトリック教会による反宗教改革運動の一環として、豪華絢爛な宗教画への需要が高まり、ルーベンスの工房は国際的な名声を確立しました。
政治・経済の衰退と芸術文化の興隆が同時に進行するという逆説的な状況が、この時代のアントワープの特徴です。
19〜20世紀、ユダヤ系の宝石研磨職人たちがアントワープに拠点を構え、この街を世界のダイヤモンド取引の中心地に押し上げました。現在も世界に流通するダイヤモンドの大部分が、この街を経由するとされています。
1980年代には、アントワープ王立芸術アカデミー出身の若手デザイナー集団「アントワープ・シックス」が国際的な評価を獲得し、この街をファッションの発信地としても押し上げました。伝統的な宝飾産業と、新しい世代のファッション文化が同居する、独特の産業構造がこの街の個性を形作っています。