なぜマドリードという小さな砦がスペインの首都になったのか。なぜプラド美術館にはこれほど傑作が集まっているのか。なぜこの街の夜はあれほど遅くまで賑わうのか。5つのポイントで、水の流れる小さな要塞から生まれたこの街の文脈をつかみます。
マドリードの起源は、9世紀頃、コルドバのイスラム首長国が築いた小さな軍事要塞「マイリート」にまで遡ります。この名は、アラビア語で「水の通り道」を意味する言葉に由来するとされ、周辺に豊富な地下水脈が流れていたことがうかがえます。
当時はキリスト教勢力の中心都市トレドを防衛するための前哨基地に過ぎず、大きな都市ではありませんでした。11世紀にキリスト教勢力によって奪還されて以降も、しばらくは地方の一都市に過ぎない存在でした。
1561年、国王フェリペ2世がマドリードを事実上の首都と定めます。しかし興味深いことに、歴史家の間でもその決定的な理由は今も完全には解明されていません。
いずれにせよ、それまで地方都市に過ぎなかったマドリードはこの決定を境に急速な都市整備が進み、王宮・広場・教会が次々と建設されていきました。
プラド美術館の起源は、ハプスブルク家歴代国王が集めた個人コレクションにあります。特にフェリペ4世は宮廷画家ベラスケスを重用し、『ラス・メニーナス』をはじめとする傑作の数々を生み出させました。
1819年、これらの王室コレクションが一般公開されたことで、プラド美術館が誕生します。個人の趣味と権力の誇示のために集められたコレクションが、200年の時を経て人類共通の文化遺産として開かれた——この転換こそが、現在の「黄金の芸術トライアングル」の礎になっています。
「スペインのブロードウェイ」と呼ばれるグラン・ビアは、実は20世紀初頭に一から計画・建設された新しい通りです。それまで入り組んだ中世の街路が続いていたエリアを大胆に取り壊し、パリのオスマン改造にも影響を受けた壮麗な大通りとして生まれ変わりました。
建設当初から「眠らない通り」という異名で呼ばれ、劇場・映画館・カフェが集まる娯楽の中心地として機能してきました。現在も夜遅くまで人通りが絶えないこの通りの活気は、100年以上前から受け継がれてきた性格なのです。
1975年、フランコ独裁体制の終焉を受けて、マドリードでは1980年代にかけて「ラ・モビーダ・マドリレーニャ」と呼ばれる爆発的な文化運動が巻き起こりました。長年抑圧されていた表現の自由が一気に解放され、音楽・映画・ファッションのシーンが街を席巻します。
映画監督ペドロ・アルモドバルもこの運動から頭角を現した一人です。マラサーニャ地区に今も残る自由でクリエイティブな雰囲気、そして夜遅くまで続くマドリードのナイトライフ文化は、この時代に育まれたエネルギーを色濃く受け継いでいます。