Zürich · 読み物記事

チューリッヒの歴史と建築旅の前に知っておきたい5つのこと

🏔 歴史・建築 📖 読了目安 6〜9分 📍 チューリッヒ

なぜバーンホフシュトラッセの地下には金塊が眠っていると言われるのか。なぜこの街から「ダダイスム」という前衛芸術運動が生まれたのか。なぜチューリッヒは何度も「世界一住みやすい都市」に選ばれるのか。5つのポイントで、ローマ時代の交易拠点から金融都市に至るまでの文脈をつかみます。

1
ローマの交易拠点「トゥリクム」から自由都市へ

チューリッヒの起源は、紀元前15年頃にリマト川を見下ろす丘(現在のリンデンホフ)に築かれたローマの関税拠点「トゥリクム」に遡ります。川と湖が交わるこの地形は古くから交易の要衝として重宝され、中世には神聖ローマ帝国の自由都市として自治権を獲得しました。

現在も市民の憩いの場となっているリンデンホフの丘は、当時の要塞跡地であり、旧市街とリマト川を見渡せる絶好のビュースポットとして残っています。


2
グロスミュンスターとスイス宗教改革の発信地

リマト川沿いにそびえる双塔の教会「グロスミュンスター」には、カール大帝がこの地に熊に導かれて聖人の墓を発見し、教会を建立したという伝説が残っています。史実としては、この教会こそが1519年、ウルリッヒ・ツヴィングリが説教を始めた場所であり、スイス宗教改革の出発点となりました。

ツヴィングリの改革はルターの宗教改革とほぼ同時期に独自展開したもので、以降チューリッヒはプロテスタント都市として、質実剛健な気風を持つ街へと発展していきます。


3
ギルド制の伝統——共和政都市の自治の歴史

中世のチューリッヒは、商工業者によるギルド(同業組合)が都市統治の中心を担う共和政都市として発展しました。リマト川沿いに今も残るギルドハウスの数々は、当時の経済的な繁栄を物語っています。

この伝統は現代にも受け継がれており、毎年4月に開催される春の到来を祝う祭り「ゼクセロイテン」は、各ギルドが伝統衣装で市内をパレードし、最後に雪だるまを模した人形「ベーグ」を燃やすという、ギルド文化を色濃く残す行事として今も続いています。


4
ダダイスム誕生の地——中立国が生んだ前衛芸術

第一次世界大戦中、永世中立国であったスイスには多くの亡命者・知識人が集まりました。チューリッヒもその避難先のひとつとなり、1916年、旧市街の小さなキャバレー「キャバレー・ヴォルテール」で芸術運動「ダダイスム」が誕生します。ユゴー・バルやトリスタン・ツァラらが、戦争を生み出した既存の理性や秩序への反発として、既成概念を破壊する不条理な芸術表現を展開しました。

興味深いことに、同じ時期のチューリッヒには亡命中のレーニンも滞在しており、後にロシア革命の拠点へと戻っていったことも、この街が当時の「政治的・文化的な避難港」であったことを物語っています。

戦時中立国としてのチューリッヒ
  • 1916年:キャバレー・ヴォルテールでダダイスムが誕生
  • 永世中立の伝統により、戦時下も多くの亡命者・知識人を受け入れた
  • 今もキャバレー・ヴォルテールは芸術文化拠点として現存

5
金融都市への道——バーンホフシュトラッセの下に眠るもの

19〜20世紀、政治的安定と厳格な守秘義務を武器に、チューリッヒはスイス銀行業の中心地として発展しました。中央駅から湖畔へ延びる目抜き通り「バーンホフシュトラッセ」は世界屈指の高級ショッピング街として知られていますが、その地下には各銀行の金庫が並んでいるとも言われ、「金塊の下のショッピング街」と形容されることがあります。

この金融の安定性と高度な公共インフラが評価され、チューリッヒは各種の「世界で最も住みやすい都市」ランキングで常に上位の常連となっています。旧市街の中世的な街並みと、湖畔の洗練された生活文化が同居しているのが、今のチューリッヒの魅力です。

物価について 「生活水準の高さ」は物価の高さと表裏一体です。外食・交通・宿泊のいずれもヨーロッパの中で最高水準の価格帯になる点は、旅程を組む際に念頭に置いておくと安心です。
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