世界一の高層ビルと巨大モール——今のドバイからは想像しにくいですが、ほんの数十年前まで真珠採りの小さな港町でした。砂漠の港町がどうやって未来都市になったのか。旅の前に知っておきたい5つの背景を紹介します。
きらびやかな今からは想像しにくいですが、ほんの数十年前まで、ドバイはクリーク沿いの小さな港町でした。人々は真珠採りや漁、そして交易で暮らしを立てていました。
湾を行き交う木造船(ダウ船)と、風を取り込む「風の塔」の家並み——アル・ファヒディ歴史地区に、その頃の面影が今も残っています。
20世紀初め、ドバイの指導者は関税を免除して外国商人を呼び込む「自由港」政策を打ち出しました。これにより、インドやペルシャ、東アフリカの商人が集まり、クリークは活気ある交易の拠点になります。
「商いの街」という気質は、この頃に形づくられました。ゴールドやスパイスのスークに、その伝統が今も息づいています。
1960年代に石油が発見されると、ドバイは大きく変わります。1971年には近隣の首長国とともにアラブ首長国連邦(UAE)が建国され、ドバイはその一員となりました。
石油収入は道路・港・空港などのインフラに投じられ、近代都市への急速な歩みが始まります。ただしドバイの石油埋蔵量は多くなく、指導者は「石油に頼らない未来」を早くから見据えていました。
ドバイの特徴は、石油依存から脱し、貿易・物流・観光・金融の街へと転換したこと。世界最大級のジェベル・アリ港や、ハブ空港、経済特区(フリーゾーン)を整え、世界中のヒト・モノ・カネを呼び込みました。
ブルジュ・ハリファ、パーム・ジュメイラ、巨大モール——次々と生まれる“世界一”は、この「石油の次」を見据えた戦略の象徴です。砂漠の港町は、わずか一世代で未来都市へと姿を変えました。
今日のドバイは、人口の8〜9割を外国人が占める多国籍都市。インド・パキスタン・フィリピン・欧米・アラブ各国など、世界中から人が集まって暮らしています。
英語が事実上の共通語として通じ、あらゆる国の料理と文化が混ざり合う——「世界の交差点」のような街です。伝統的なイスラム文化を土台にしつつ、驚くほど国際的でオープンな空気が、旅行者にとっての心地よさにつながっています。