なぜスタンレーパークはダウンタウンのすぐ隣にあれほど巨大な自然が残っているのか。なぜガスタウンには蒸気時計があるのか。なぜこの街には北米有数のチャイナタウンがあるのか。5つのポイントで、130年あまりという短い歴史の中に凝縮された、この街ならではの成り立ちをつかみます。
ヨーロッパ人が入植するはるか以前から、この地域にはマスクィーム、スコーミッシュ、ツレイル・ワトゥースという3つの先住民族が数千年にわたり暮らしていました。カナダの多くの地域では入植の際に先住民との条約が結ばれましたが、バンクーバー周辺の土地の多くは「条約が結ばれなかった土地(unceded land)」として、今もその歴史的経緯が公的な場でしばしば言及されます。
ダウンタウンに隣接する巨大な都市公園「スタンレーパーク」も、かつては先住民の集落があった土地です。園内にはこうした歴史的背景を伝えるトーテムポールが展示されており、単なる観光名所以上の意味を持つ場所となっています。
1867年、製材所の労働者向けに酒場を開いた「ゲッシー・ジャック」ことジョン・ディートンにちなみ、その周辺に発展した集落が「ガスタウン」と呼ばれるようになりました。1886年、カナダ太平洋鉄道の西の終着点としてバンクーバー市が正式に発足したその年、市街地の大半を焼失する大火が発生しますが、街はわずか1年ほどで石造り・レンガ造りの建物として再建されました。
現在ガスタウンのシンボルとなっている「蒸気時計」は歴史的建造物ではなく20世紀後半に設置されたものですが、19世紀の街並みと絶妙に調和し、この街発祥の地としての雰囲気を伝えています。
1887年、カナダ大陸横断鉄道がバンクーバーまで開通したことで、街は一気に発展の起爆剤を得ました。この鉄道建設には多くの中国系移民労働者が従事しており、工事完了後に多くがバンクーバーに定住したことで、北米でも最も歴史あるチャイナタウンのひとつが形成されました。
一方で当時のカナダ政府は中国系移民に対して「人頭税」を課すなど差別的な移民政策を敷いていた歴史もあり、現在のチャイナタウンにある中山公園・ドクターサン・ヤットセン庭園は、こうした困難を乗り越えたコミュニティの足跡を伝える場所でもあります。
1986年に開催された「Expo86」(バンクーバー国際交通博覧会)は、この街の姿を大きく変える転機となりました。フォールスクリーク湾沿いの荒廃した工業用地が博覧会場として再開発され、跡地は現在の高層住宅街やグランビルアイランド周辺の賑わいの基盤になっています。この博覧会を機にスカイトレイン(新交通システム)も開業し、今の公共交通網の原型が作られました。
また1997年の香港返還を前後して、香港からの移民が大きく増加したことも、バンクーバーがアジア太平洋地域との結びつきが強い国際都市としての性格を強める一因となりました。
現在のバンクーバーの街並みは、「バンクーバーイズム」と呼ばれる独自の都市計画思想で知られています。高層マンションの足元に緑地や商業施設を配し、山への眺望を遮らないよう建物の高さや配置を規制する「ビューコリドー(眺望回廊)」を徹底することで、高密度な都心でありながら山と海の景観を損なわない街づくりを実現しています。
この都市計画の成果もあり、バンクーバーは各種の「世界で最も住みやすい都市」ランキングの常連となっています。海・山・街が20〜30分圏内に共存するという地理的な特性を、意図的に活かした都市デザインの成功例といえます。