なぜ故宮博物院には北京の紫禁城クラスの至宝が集まっているのか。なぜ総統府はヨーロッパ風の建物なのか。なぜ台湾はアジアで最初に同性婚を認めた場所になったのか。5つのポイントで、先住民の土地から日本統治・国民党政権・民主化を経てきた台北の重層的な文脈をつかみます。
台北盆地には、もともと平埔族の一支族「ケタガラン族」が暮らしていました。総統府前の広場が「凱達格蘭大道(ケタガラン大道)」と名付けられているのは、この先住民族への敬意を示すためです。清朝統治下の1884年、台北はようやく城壁に囲まれた「府城」として整備され、1885年には台湾省の省都に定められました。
1895年、日清戦争の結果として台湾は日本の統治下に入り、以後1945年まで50年間続いた日本統治時代に、台北は近代都市としてのインフラを大きく整備されました。現在の総統府は当時「台湾総督府」として建てられたバロック風の壮麗な建築で、鉄道網・上下水道・都市計画の多くもこの時代に骨格が作られています。
西門町がかつて「西門」と呼ばれる娯楽街として発展したのもこの時代のことで、当時の日本式建築の面影を残す建物が今も点在しています。
1945年に日本の統治が終わると、1949年の国共内戦の敗北により中国国民党(蒋介石)が台湾へ撤退し、台北を臨時首都に定めました。この際、北京の紫禁城にあった膨大な美術品コレクションも台湾へ運び込まれ、現在の故宮博物院のコレクションの中核をなしています。
同時期から1987年まで、実に約38年間という当時世界最長級の戒厳令が敷かれ、「白色テロ」と呼ばれる政治的弾圧の時代が続きました。この歴史は現在も台湾社会において重要な記憶として語り継がれています。
1987年の戒厳令解除を機に、台湾は急速な民主化への道を歩み始めます。同時期、韓国・香港・シンガポールと並ぶ「アジア四小龍」として、輸出主導の経済成長を遂げたことでも知られています。
この経済成長の象徴として2004年に完成したのが「台北101」。508mの高さは2010年にドバイのブルジュ・ハリファに抜かれるまで世界一を誇りました。台風や地震の多い立地に対応する巨大な制振ダンパー(風による揺れを抑える重り)を内蔵していることでも知られています。
民主化を経た現代の台北は、多元的な価値観を積極的に受け入れる都市として存在感を高めています。2019年にはアジアで初めて同性婚を法制化し、毎年秋に開催される台湾プライドパレードはアジア最大級の規模を誇ります。
清朝・日本統治時代・国民党政権という異なる時代の記憶を持つ台北は、九份や淡水といった近郊エリアも含め、重層的な歴史がそのまま街の風景に残っている点が大きな魅力です。日本語が比較的通じやすい環境も、こうした日本との歴史的な結びつきの延長線上にあります。