なぜコロッセオはあれほど巨大な闘技場が必要だったのか。なぜパンテオンは2000年近く崩れずに立ち続けているのか。なぜバチカンはイタリアの中の「別の国」なのか。5つのポイントで、古代・中世・バロック・近代の層が積み重なる「永遠の都」の文脈をつかみます。
伝説によれば、ローマは紀元前753年、狼に育てられた双子ロムルスとレムスのうちロムルスによって建設されたとされています。史実としては紀元前8世紀頃にテベレ川沿いの丘陵地帯に集落が生まれ、王政・共和政を経て紀元前27年に帝政期へ移行、地中海世界を支配する巨大帝国へと発展しました。
この繁栄を象徴するのがコロッセオです。72〜80年、フラウィウス朝の皇帝たちによって建設され、剣闘士競技や模擬海戦まで行われた5万人収容の巨大娯楽施設でした。「パンとサーカス」という言葉が示すように、市民への娯楽提供は帝国統治の重要な戦略の一部でもありました。
128年頃、皇帝ハドリアヌスの時代に再建されたパンテオンは、直径43mの無筋コンクリート製ドームとしては今も世界最大級を誇ります。天井中央には「オクルス」と呼ばれる直径9mの丸い開口部があり、これが唯一の採光源かつ換気口という、当時としては驚異的な建築技術です。
この建物が現存する最大の理由は、609年にキリスト教会へ転用されたこと。多くの古代神殿が異教の建物として解体・転用された中、パンテオンは教会として使われ続けたことで、古代ローマ建築の姿をほぼそのまま今に伝える稀有な例となっています。
バチカン市国は面積0.44平方kmという世界最小の独立国ですが、カトリック教会の総本山として世界12億人以上の信者の中心地です。聖ピエトロ大聖堂は使徒ペトロが埋葬されたとされる場所に建てられ、現在の建物は16〜17世紀にブラマンテ・ミケランジェロ・ベルニーニら名だたる建築家・芸術家が携わって完成しました。
システィーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロが4年をかけて描いた傑作で、「アダムの創造」で知られる場面もここにあります。現在も新教皇を選ぶコンクラーベ(教皇選挙)が行われる、カトリック世界で最も神聖な空間のひとつです。
17世紀、教皇庁の後ろ盾を受けた彫刻家・建築家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、劇的で躍動感あふれるバロック様式でローマの街並みを一変させました。サン・ピエトロ広場を囲む列柱廊や、ナヴォーナ広場の「四大河の噴水」など、彼の作品は今もローマ観光のハイライトです。
トレヴィの泉(18世紀、ニコラ・サルヴィ設計)に代表されるように、ローマの広場という広場に配された壮麗な噴水群は、権力誇示と都市への上水供給という実用性を兼ね備えたバロック時代の公共事業でもありました。
長らく教皇領として教皇が世俗権力を握っていたローマは、イタリア統一運動(リソルジメント)の最終局面まで統一国家に加わっていませんでした。1870年、イタリア王国軍がローマを占領(ポルタ・ピア侵入)し、1871年にローマは新生イタリア王国の首都となります。教皇はバチカンに退き、これが現在のバチカン市国という特殊な地位の起源となりました。
ローマの魅力は、古代・中世・ルネサンス・バロック・近代という異なる時代の建築が地層のように積み重なっている点にあります。1つの広場を歩くだけで、古代の柱と中世の教会、バロックの噴水が同居する光景に出会えるのが、この街ならではの体験です。