プーケットが世界的なビーチリゾートになったのは、実はここ半世紀ほどのこと。それ以前のこの島は「錫(すず)の島」でした。中国系移民が築いた富とシノ・ポルトガル建築、南タイの海の文化、そして2004年の津波からの復興——旧市街を歩く前に知っておきたい5つの背景を紹介します。
19世紀のプーケットを支えたのはビーチではなく錫鉱山でした。豊富な錫鉱床を目当てに、中国南部(特に福建=ホッキエン)から多くの労働者・商人が移住し、島は交易と採掘で大きく潤いました。今の観光の中心地とは別に、内陸や旧市街が経済の主役だったのです。
錫で財を成した華人商人たちが、その富で建てたのが旧市街の壮麗な街並みでした。プーケット・タウンが海辺ではなく島の南東の内陸寄りにあるのは、こうした鉱山・交易の歴史の名残です。
旧市街のカラフルな建物は「シノ・ポルトガル様式」と呼ばれます。中国の建築様式に、ポルトガルやマレー半島の植民地建築の意匠が混ざった独特のスタイルで、細長い間口に奥行きのあるショップハウス(店舗兼住宅)が連なります。
移住した華人と現地の人々が交わって生まれた文化は「ババ(プラナカン)」と呼ばれ、料理・衣装・建築に独自の折衷が見られます。マラッカやペナン、シンガポールと共通する、海峡地域ならではの混血文化がプーケットにも根づいています。
プーケットはアンダマン海の交易路の要衝でもありました。仏教・中国の道教・イスラムなど多様な信仰が共存し、島には仏教寺院と中国寺院の両方が点在します。ワット・チャロンは島最大の仏教寺院で、地元の人々の篤い信仰を集めてきました。
島を見下ろす丘に立つ高さ45mのビッグ・ブッダは2000年代以降に建立された比較的新しいシンボルですが、今では島の信仰と観光の両面で親しまれています。
毎年10月ごろ(旧暦9月)に9日間かけて行われる「ベジタリアン祭り(ギンジェー/九皇大帝祭)」は、プーケットを代表する華人の伝統行事です。期間中、参加者は肉を断ち白い服を着て身を清めます。
祭りの一部では、神が乗り移った「神の子(マーソン)」が頬や体に串を貫く激しい儀式を行い、行列が街を練り歩きます。福建系移民が持ち込んだ道教の信仰に由来する、島のアイデンティティを象徴する行事です。
錫産業が20世紀後半に衰退したあと、プーケットはビーチリゾートとして生まれ変わりました。パトンをはじめとする西海岸のビーチが観光地として発展し、世界中から旅行者が集まる島になりました。
2004年12月のスマトラ島沖地震によるインド洋大津波は、プーケットの西海岸にも大きな被害をもたらしました。島は復興を遂げ、現在は津波警報・避難路の整備も進んでいます。華人の富が築いた旧市街と、現代のビーチリゾート——この二つの顔を併せ持つのが、今日のプーケットです。