Phuket · 読み物記事

プーケットの歴史と文化ビーチの島になる前の物語

⛏ 錫鉱山とシノ・ポルトガル文化 📖 読了目安 5〜8分 📍 プーケット

プーケットが世界的なビーチリゾートになったのは、実はここ半世紀ほどのこと。それ以前のこの島は「錫(すず)の島」でした。中国系移民が築いた富とシノ・ポルトガル建築、南タイの海の文化、そして2004年の津波からの復興——旧市街を歩く前に知っておきたい5つの背景を紹介します。

1
錫(すず)の島——ビーチではなく鉱山で栄えた

19世紀のプーケットを支えたのはビーチではなく錫鉱山でした。豊富な錫鉱床を目当てに、中国南部(特に福建=ホッキエン)から多くの労働者・商人が移住し、島は交易と採掘で大きく潤いました。今の観光の中心地とは別に、内陸や旧市街が経済の主役だったのです。

錫で財を成した華人商人たちが、その富で建てたのが旧市街の壮麗な街並みでした。プーケット・タウンが海辺ではなく島の南東の内陸寄りにあるのは、こうした鉱山・交易の歴史の名残です。


2
シノ・ポルトガル建築とババ(プラナカン)文化

旧市街のカラフルな建物は「シノ・ポルトガル様式」と呼ばれます。中国の建築様式に、ポルトガルやマレー半島の植民地建築の意匠が混ざった独特のスタイルで、細長い間口に奥行きのあるショップハウス(店舗兼住宅)が連なります。

移住した華人と現地の人々が交わって生まれた文化は「ババ(プラナカン)」と呼ばれ、料理・衣装・建築に独自の折衷が見られます。マラッカやペナン、シンガポールと共通する、海峡地域ならではの混血文化がプーケットにも根づいています。

旧市街の見どころ
  • タラン通り=旧市街のメイン通り。ショップハウスとカフェが並ぶ
  • ソイ・ロマニー=色鮮やかな細道。旧市街いちばんの撮影スポット
  • 日曜夜のウォーキングストリート=屋台とローカルフードで賑わう
  • 壁画(ストリートアート)が街のあちこちに点在

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アンダマン海の交易と信仰——寺院と大仏

プーケットはアンダマン海の交易路の要衝でもありました。仏教・中国の道教・イスラムなど多様な信仰が共存し、島には仏教寺院と中国寺院の両方が点在します。ワット・チャロンは島最大の仏教寺院で、地元の人々の篤い信仰を集めてきました。

島を見下ろす丘に立つ高さ45mのビッグ・ブッダは2000年代以降に建立された比較的新しいシンボルですが、今では島の信仰と観光の両面で親しまれています。


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ベジタリアン祭り——島最大の華人行事

毎年10月ごろ(旧暦9月)に9日間かけて行われる「ベジタリアン祭り(ギンジェー/九皇大帝祭)」は、プーケットを代表する華人の伝統行事です。期間中、参加者は肉を断ち白い服を着て身を清めます。

祭りの一部では、神が乗り移った「神の子(マーソン)」が頬や体に串を貫く激しい儀式を行い、行列が街を練り歩きます。福建系移民が持ち込んだ道教の信仰に由来する、島のアイデンティティを象徴する行事です。

訪問時期について ベジタリアン祭りは毎年日程が変わります(旧暦基準)。この時期は旧市街や中国寺院が特に賑わい、菜食(ジェー)の屋台も一斉に並びます。刺激的な儀式もあるため、見学の際は現地の案内・マナーに従ってください。

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2004年の津波、そしてリゾートの島へ

錫産業が20世紀後半に衰退したあと、プーケットはビーチリゾートとして生まれ変わりました。パトンをはじめとする西海岸のビーチが観光地として発展し、世界中から旅行者が集まる島になりました。

2004年12月のスマトラ島沖地震によるインド洋大津波は、プーケットの西海岸にも大きな被害をもたらしました。島は復興を遂げ、現在は津波警報・避難路の整備も進んでいます。華人の富が築いた旧市街と、現代のビーチリゾート——この二つの顔を併せ持つのが、今日のプーケットです。

旅の視点 ビーチだけで帰るのは少しもったいない島です。半日でも旧市街を歩けば、「錫とシノ・ポルトガル文化の島」というもう一つのプーケットに出会えます。海と歴史、両方を楽しむのがこの島の醍醐味です。
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