Istanbul · 読み物記事

イスタンブールの歴史と建築旅の前に知っておきたい5つのこと

🕌 歴史・建築 📖 読了目安 6〜9分 📍 イスタンブール

なぜアヤソフィアは教会でもモスクでもある建物なのか。なぜ街の名前は3度も変わったのか。なぜブルーモスクには6本ものミナレットがあるのか。5つのポイントで、2つの帝国の首都だった街の文脈をつかみます。

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3つの名前——ビザンティオン・コンスタンティノープル・イスタンブール

この街は歴史上3度名前を変えています。紀元前7世紀、ギリシャ人入植者が築いた「ビザンティオン」が始まり。330年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がここを新首都と定め「コンスタンティノープル」と改名し、東ローマ(ビザンツ)帝国の都として千年以上栄えました。1453年、オスマン帝国のメフメト2世がこの都市を征服し、徐々に「イスタンブール」という呼称が定着していきました。

つまりこの街は「ローマ帝国の首都」と「イスラム帝国の首都」という、世界史上最も劇的な転換を体現した都市なのです。トルコ共和国の首都が1923年にアンカラへ移った後も、イスタンブールはトルコ最大の都市・経済の中心であり続けています。


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アヤソフィア——教会からモスクへ、2度の改宗

アヤソフィアほど劇的な歴史を持つ建物は世界に少ないでしょう。537年、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世が建造した当時、世界最大の屋内空間を持つキリスト教会でした。1453年のオスマン征服後、メフメト2世は即座にこれをモスクへ改宗——内部のキリスト教モザイクは漆喰で覆われ、4本のミナレットが付け加えられました。

1934年、トルコ共和国初代大統領アタテュルクが世俗化政策の一環として博物館に転換。漆喰の下のモザイクが再発見・修復されました。そして2020年、トルコ政府が再びモスクへの転換を決定し、現在に至ります。1つの建物にキリスト教とイスラム教、2つの信仰の痕跡が同居するのは世界でも稀有な光景です。

アヤソフィアの変遷
  • 537年:ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世が大聖堂として建造
  • 1453年:オスマン征服後、モスクへ改宗
  • 1934年:トルコ共和国が博物館化、モザイク修復
  • 2020年:再びモスクへ転換、現在に至る

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なぜブルーモスクには6本のミナレットがあるのか

多くのモスクは2〜4本のミナレットを持ちますが、ブルーモスク(スルタンアフメット・モスク)は6本という異例の数を誇ります。これには逸話があり、建築を命じたスルタン・アフメト1世が「金(altın)のミナレット」を要求したところ、建築家が「6(altı)本のミナレット」と聞き間違えたという伝説が伝えられています。

当時メッカのカーバ神殿のミナレットも6本だったため、これに匹敵すると問題視され、結局カーバ神殿側に7本目を追加することで決着したという後日談も残っています。真偽は定かではありませんが、トルコらしいユーモラスな逸話として旅行者に語り継がれています。


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トプカプ宮殿——400年間スルタンが統治した政治の中枢

1459年から1856年まで約400年間、トプカプ宮殿はオスマン帝国スルタンの居城であり、巨大な帝国を統治する政庁でもありました。複数の中庭が同心円状に配置され、外側は一般民衆も出入りできる場所、内側に進むほど限られた者しか入れない構造になっています。最も奥にあるハレム(後宮)は、スルタンの家族・側室が暮らした神秘的な空間として知られています。

1856年、より西洋的な宮殿として建てられたドルマバフチェ宮殿に居城が移ると、トプカプ宮殿はその役割を終えました。今は宝物殿に収蔵されるエメラルドの短剣や巨大なダイヤモンドが、かつての帝国の繁栄を物語っています。


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グランドバザール——15世紀から続く世界最古級のショッピングモール

1461年、メフメト2世の命で建設が始まったグランドバザールは、「世界最古かつ最大級の屋根付きショッピングモール」と言われています。最盛期には数千人が同時に働き、シルクロード交易の中継地として東西の商品が行き交いました。地震や火災で何度も修復・再建されながら、500年以上にわたり商業の中心地であり続けています。

現代でも4000店舗以上が営業し、当時と変わらず「交渉して買う」という商習慣が根付いています。観光地化が進んでいますが、商人たちのホスピタリティ(お茶を勧める文化など)には今もオスマン時代の名残を感じられます。

イスタンブールの「層」を意識して歩く この街はビザンツ・オスマン・トルコ共和国という3つの時代の建築が地層のように積み重なっています。アヤソフィアのモザイクとイスラム書道が同居する様子を見るだけで、千年単位の歴史の重なりを実感できるはずです。
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