なぜバーンホフシュトラッセの地下には金塊が眠っていると言われるのか。なぜこの街から「ダダイスム」という前衛芸術運動が生まれたのか。なぜチューリッヒは何度も「世界一住みやすい都市」に選ばれるのか。5つのポイントで、ローマ時代の交易拠点から金融都市に至るまでの文脈をつかみます。
チューリッヒの起源は、紀元前15年頃にリマト川を見下ろす丘(現在のリンデンホフ)に築かれたローマの関税拠点「トゥリクム」に遡ります。川と湖が交わるこの地形は古くから交易の要衝として重宝され、中世には神聖ローマ帝国の自由都市として自治権を獲得しました。
現在も市民の憩いの場となっているリンデンホフの丘は、当時の要塞跡地であり、旧市街とリマト川を見渡せる絶好のビュースポットとして残っています。
リマト川沿いにそびえる双塔の教会「グロスミュンスター」には、カール大帝がこの地に熊に導かれて聖人の墓を発見し、教会を建立したという伝説が残っています。史実としては、この教会こそが1519年、ウルリッヒ・ツヴィングリが説教を始めた場所であり、スイス宗教改革の出発点となりました。
ツヴィングリの改革はルターの宗教改革とほぼ同時期に独自展開したもので、以降チューリッヒはプロテスタント都市として、質実剛健な気風を持つ街へと発展していきます。
中世のチューリッヒは、商工業者によるギルド(同業組合)が都市統治の中心を担う共和政都市として発展しました。リマト川沿いに今も残るギルドハウスの数々は、当時の経済的な繁栄を物語っています。
この伝統は現代にも受け継がれており、毎年4月に開催される春の到来を祝う祭り「ゼクセロイテン」は、各ギルドが伝統衣装で市内をパレードし、最後に雪だるまを模した人形「ベーグ」を燃やすという、ギルド文化を色濃く残す行事として今も続いています。
第一次世界大戦中、永世中立国であったスイスには多くの亡命者・知識人が集まりました。チューリッヒもその避難先のひとつとなり、1916年、旧市街の小さなキャバレー「キャバレー・ヴォルテール」で芸術運動「ダダイスム」が誕生します。ユゴー・バルやトリスタン・ツァラらが、戦争を生み出した既存の理性や秩序への反発として、既成概念を破壊する不条理な芸術表現を展開しました。
興味深いことに、同じ時期のチューリッヒには亡命中のレーニンも滞在しており、後にロシア革命の拠点へと戻っていったことも、この街が当時の「政治的・文化的な避難港」であったことを物語っています。
19〜20世紀、政治的安定と厳格な守秘義務を武器に、チューリッヒはスイス銀行業の中心地として発展しました。中央駅から湖畔へ延びる目抜き通り「バーンホフシュトラッセ」は世界屈指の高級ショッピング街として知られていますが、その地下には各銀行の金庫が並んでいるとも言われ、「金塊の下のショッピング街」と形容されることがあります。
この金融の安定性と高度な公共インフラが評価され、チューリッヒは各種の「世界で最も住みやすい都市」ランキングで常に上位の常連となっています。旧市街の中世的な街並みと、湖畔の洗練された生活文化が同居しているのが、今のチューリッヒの魅力です。