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バルセロナの歴史と建築旅の前に知っておきたい5つのこと

🏛 歴史・建築 📖 読了目安 5〜8分 📍 バルセロナ

なぜバルセロナの街は碁盤目なのか。なぜガウディの建築がこれほど多いのか。なぜ街中に「カタルーニャ独立」の旗があるのか。5つのポイントで街の文脈をつかみます。

1
旧市街はローマ時代から2000年の歴史の堆積

ゴシック地区の起源は紀元前1世紀のローマ植民都市「バルキノ」。現在のカテドラル周辺の丘がその中心でした。ゴシック地区を歩くと、路地の壁に2000年前のローマ時代の石が埋め込まれているのに気づきます。

中世(13〜15世紀)にはアラゴン王国の商業帝国として地中海に覇を唱え、この時代に建てられたカテドラル・サンタ・マリア・デル・マル教会がゴシック地区の骨格を作りました。「ゴシック地区」という名前は20世紀になってつけられた観光向けの名称ですが、建物自体は本物の中世建築です。


2
なぜ街は碁盤目なのか——19世紀の過密問題

1850年代、旧市街の城壁内に人口が密集してヨーロッパ最悪の過密状態になったバルセロナは、城壁を撤去して都市を拡張する計画「エイシャンプラ」を実行します。都市計画家セルダが設計したこの碁盤目は、角を45度に切り取った交差点・均一なブロックサイズが特徴。「どこにいても迷わない」バルセロナの使いやすさはこの計画から来ています。

セルダ計画のポイント
  • 一辺113mの正方形ブロックを碁盤目状に配置
  • 角を45度に切り取って交差点を広く設計
  • 当初はブロック内部に緑地を設ける予定だったが、実際は建物が建てられた
  • このブロックに富裕層が競って豪華邸宅を建設→モデルニスモ建築の温床に

3
モデルニスモはカタルーニャの文化的抵抗だった

1880〜1920年代に花開いた「モデルニスモ」建築は、ただのアール・ヌーヴォーではありません。スペイン中央政府(カスティーリャ)に自治権・言語を奪われたカタルーニャが、建築を通じて独自のアイデンティティを主張した文化運動でもありました。産業革命で富を蓄えた新興富裕層が、民族主義的な文化運動に共鳴してモデルニスモ建築家にこぞって発注したのです。


4
ガウディ——天才の背後にあるもの

ガウディを語るとき、「天才建築家」という文脈だけでは不十分です。彼の背後には実業家パトロンのグエル、カタルーニャ民族主義の文化的背景、そして深篤なカトリック信仰がありました。サグラダ・ファミリアは彼が43年間生涯を捧げた贖罪聖堂であり、2026年に140年越しの完成を迎える予定です。

ガウディ作品を効率よく見るなら、グラシア通り沿いのカザ・バトリョとカザ・ミラ(ラ・ペドレラ)をセットで見てからサグラダ・ファミリアへ向かうルートが王道です。


5
なぜ街中に独立の旗があるのか

バルセロナを歩くと、赤・黄の縦縞に三角と星が入った旗(エステラーダ)があちこちにあります。これはカタルーニャ独立派の旗です。カタルーニャは1714年にスペイン・ブルボン朝に敗れて自治権を失い、フランコ独裁政権下ではカタルーニャ語の使用まで禁じられた歴史を持ちます。

2017年の独立宣言は失敗に終わりましたが、独立を支持する市民は現在も多く、毎年9月11日(カタルーニャの日)には大規模なデモが行われます。FCバルセロナの「ただのクラブではない(Més que un club)」というスローガンも、この政治的文脈で生まれました。街の旗を見たとき、その背景を知っているだけで見え方が変わります。

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