なぜ北米なのにフランス語が公用語なのか。なぜ「地下都市」という独自の街が広がっているのか。なぜモントリオールという名前は「王の山」という意味なのか。5つのポイントで街の文脈をつかみます。
モントリオールの歴史は1642年、フランス人入植者が「ヴィル・マリー(マリアの町)」という宣教拠点をセントローレンス川沿いに築いたことに始まります。北米大陸の先住民族との交易・キリスト教布教の拠点として発展し、後にイギリスへの割譲を経ながらも、フランス語文化を守り続けてきました。
都市名「モントリオール」は、街の中心にそびえる丘「モン・ロワイヤル(王の山)」に由来します。探検家ジャック・カルティエが1535年にこの丘を見て、フランス国王フランソワ1世に敬意を表して名付けたとされています。
1763年のパリ条約でフランスはケベックを含む北米植民地をイギリスに割譲しましたが、フランス語系住民(フランコフォン)は言語・文化・カトリック信仰を守り続けました。1960年代の「静かな革命(Révolution tranquille)」と呼ばれる社会変革を経て、ケベック州は1977年に「フランス語憲章(法案101号)」を制定し、フランス語を唯一の公用語と定めました。
モントリオールの冬は氷点下20度を下回ることも珍しくありません。この厳しい気候への対応として発展したのが「レゾ(RÉSO)」と呼ばれる地下都市です。総延長32km、地下鉄駅・オフィスビル・ショッピングモール・大学・住宅が地下通路で結ばれ、真冬でもコートなしで都市の主要機能にアクセスできます。
1962年のプレイス・ヴィル・マリー建設を起点に、半世紀以上かけて段階的に拡張されてきたこの地下都市は、世界最大規模の地下歩行者ネットワークとして知られています。
セントローレンス川沿いに残る石畳の旧市街は、17〜19世紀の建物が今も使われ続ける北米でも有数の歴史的街並みです。フランス植民地時代の石造建築と、19世紀の商業的繁栄期に建てられたヴィクトリア様式の建物が混在し、ヨーロッパとも他の北米都市とも違う独特の景観を作り出しています。
1967年のモントリオール万博(Expo 67)はカナダ建国100周年を記念した国際イベントで、世界中から5,000万人以上が訪れました。この時建設されたバックミンスター・フラー設計のジオデシック・ドーム(現バイオスフィア)は今もモントリオールのシンボルです。
1976年のモントリオールオリンピックでは、独特の傾斜した塔を持つオリンピック・スタジアムが建設されましたが、建設費の負債返済に30年かかったという逸話でも知られています。それでもこの2つの国際イベントは、モントリオールを世界に印象づける重要な契機となりました。