なぜロンドンには統一感のある「パリ的な美しさ」がないのか。なぜビッグベンは実は時計の名前ではないのか。なぜロンドン塔には今もワタリガラスがいるのか。5つのポイントで街の文脈をつかみます。
ロンドンの起源は西暦43年、ローマ帝国がテムズ川沿いに築いた交易拠点「ロンディニウム」に遡ります。現在のシティ・オブ・ロンドン(金融街)の境界線は、実はこのローマ時代の城壁の名残です。2000年近く前の都市の輪郭が、今も金融街の境界として機能しているのは驚くべき連続性です。
ローマ撤退後、ロンドンはアングロサクソン、ヴァイキング、ノルマン征服とさまざまな勢力の支配を経て、現在の姿へと積み重なっていきました。
1666年の「ロンドン大火」で旧市街の8割が焼失した後、建築家クリストファー・レンが「パリのような幾何学的に整然とした都市」を提案しましたが、土地所有者たちの利害調整が間に合わず、結局は元の中世の街路パターンのまま再建されました。これがパリのオスマン改造のような統一感が生まれなかった理由です。
世界的に「ビッグベン」として知られるあの時計塔は、正式には「エリザベス・タワー」という名称です。「ビッグベン」とは本来、塔の中にある重さ13.7トンの大鐘の愛称で、これが転じて塔全体を指すようになりました。鐘の名前の由来には諸説ありますが、当時の建設責任者ベンジャミン・ホールにちなむという説が有力です。
1834年の火災で旧ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)が焼失し、現在見られるネオゴシック様式の建物として再建されたのは19世紀のことです。
1759年創設の大英博物館は世界最古の公立博物館のひとつで、800万点以上の収蔵品を誇ります。ロゼッタストーンやエルギンマーブル(パルテノン神殿の彫刻)など大英帝国時代に世界各地から「収集」された品々が中心となっており、近年は出身国からの返還要求も活発化している、複雑な歴史を背負った施設でもあります。
常設展示が無料という方針は1759年の創設以来一貫しており、「知識は全人類のもの」という理念が今も貫かれています。
ロンドン塔には今も6羽以上のワタリガラスが飼育されています。これは「ワタリガラスが塔を去ると王国が滅びる」という伝説に基づき、チャールズ2世(17世紀)の時代から続く習わしです。実際には羽を一部切って飛び去れないようにしているという、伝説と現実が混在する興味深いエピソードです。
ロンドン塔は1000年近くにわたり要塞・王宮・牢獄・処刑場・宝物庫と、時代によって全く異なる役割を果たしてきました。アン・ブーリンをはじめ、多くの著名人がここで処刑された歴史も持っています。